statement
現在、「海をめぐる物語」をテーマに制作しています。
人間が生きることのできないフィールドで直面する身体の限界は、離別の感覚と共生願望を同時に呼び起こす—このことは、私が実際に海に潜ったときに体験した身体的感覚からヒントを得ています。どんなに海と一つになりたいと、深くまで潜りたいと望んだとしても、それは人間である以上叶わない。深く潜ろうとすればするほど私を圧する水圧は、それはまるで私をきつく抱擁するかのようであると同時に、決定的に拒絶するかのよう。
相反する二つの感覚が同時に去来するこの体験を通して、海と私は決して一つではなく、分断された異なる存在であるという強烈な実感が得られました。
この「私と海」の関係は、地上で生きる多くの人間同士が結ぶ「私とあなた」という関係性と通じているのではないでしょうか。
「私とあなた」が互いに近づこうと切望しても、別の生き物であると実感してしまう。にもかかわらず私達は、互いを求めてしまう。
離別の感覚と共生への憧れを、私達は日常のさまざまな関係性の中で感じているのではないでしょうか。
「他者を求める願望」を呼び覚ますイメージは、あらゆる形象の中に潜んでいます。例えば浜辺の砂漣、海と空が混ざる景色、貝の外殻、母子の姿、祈る姿—--
二者が一つになろうと試みる様子、二者でありながら一つの共同体であろうとする様子、それを象る形象がこの自然には無数に存在します。
自然の中から見出す「他者を求める願望」の姿を、原体験の「海」をキーワードにピックアップし、絵画作品へと置換しようと試みます。
自分と他者の間に深くくっきり境界線がある。
私という人間にとって不可欠な「他者を求める願望」を絵画によって表現したい。
杉岡みなみ
人間が生きることのできないフィールドで直面する身体の限界は、離別の感覚と共生願望を同時に呼び起こす—このことは、私が実際に海に潜ったときに体験した身体的感覚からヒントを得ています。どんなに海と一つになりたいと、深くまで潜りたいと望んだとしても、それは人間である以上叶わない。深く潜ろうとすればするほど私を圧する水圧は、それはまるで私をきつく抱擁するかのようであると同時に、決定的に拒絶するかのよう。
相反する二つの感覚が同時に去来するこの体験を通して、海と私は決して一つではなく、分断された異なる存在であるという強烈な実感が得られました。
この「私と海」の関係は、地上で生きる多くの人間同士が結ぶ「私とあなた」という関係性と通じているのではないでしょうか。
「私とあなた」が互いに近づこうと切望しても、別の生き物であると実感してしまう。にもかかわらず私達は、互いを求めてしまう。
離別の感覚と共生への憧れを、私達は日常のさまざまな関係性の中で感じているのではないでしょうか。
「他者を求める願望」を呼び覚ますイメージは、あらゆる形象の中に潜んでいます。例えば浜辺の砂漣、海と空が混ざる景色、貝の外殻、母子の姿、祈る姿—--
二者が一つになろうと試みる様子、二者でありながら一つの共同体であろうとする様子、それを象る形象がこの自然には無数に存在します。
自然の中から見出す「他者を求める願望」の姿を、原体験の「海」をキーワードにピックアップし、絵画作品へと置換しようと試みます。
自分と他者の間に深くくっきり境界線がある。
私という人間にとって不可欠な「他者を求める願望」を絵画によって表現したい。
杉岡みなみ
杉岡みなみ minami sugioka